医療法人社団医輝会 東郷医院 健康と時間を手に入れて、やりたい活動にチャレンジする余裕が生まれた
【医療機関名】医療法人社団医輝会 東郷医院
【所在地】〒181-0013 東京都三鷹市下連雀3-34-13フォレスタ三鷹501
【代表者】医療法人社団医輝会東郷医院 理事長・院長 東郷清児
【ホームページ】http://togoiin.info/
東京都三鷹市にある在宅医療専門の診療所、東郷医院で院長を務める東郷清児先生。30年近くにわたり在宅医療の世界で活躍するベテラン医師だ。
「人と関わることが好きだった自分に向いている」と語る東郷先生は、自ら在宅医療の現場に立ち続ける傍らで、医療が抱える社会問題に向き合い、今の医療のあり方を変える活動を続けている。
今回のインタビューでは、そんな東郷先生が現代医療に課題感を抱き、在宅医療の世界に身を投じた経緯や、先生の活動の中で当直連携基盤が果たす役割、そして今後の在宅医療に必要な要素などについて、詳しく話を聞いた。
医療法人社団医輝会 理事長・院長 東郷 清児(トウゴウセイジ)
外科医を目指していたが、大学5年生の夏休みに障害児の施設での研修に参加したことで、医療と福祉のネットワーク作りの必要性を実感。鹿児島県内のあらゆる福祉施設や関連病院、福祉大学などを単独で訪れて学ぶ。
その後、霞が関の全国社会福祉協議会や、当時「福祉日本一」と言われていた東京都武蔵野市の福祉公社などを紹介され交流を持つ。
これらの縁をきっかけに、高齢化がもたらす社会的な問題にアプローチしつつ、医療と福祉の地域ネットワークモデルを作ることを目的として、武蔵野の地で在宅医として働くことを決心し現在に至る。
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左:東郷医院・東郷院長、右:当直連携基盤・中尾
障害児施設の研修を通して学んだ
「医療は病気を治すだけ」という実情
当直連携基盤・代表取締役 中尾(以下、中尾) :
先生はもう在宅医療の世界で30年近くも活躍されていますが、もともと在宅医療をやろうと思ったきっかけは何だったんですか?
医療法人社団医輝会 東郷院長(以下、東郷) :
本格的に在宅医療を始めた経緯は色々あるのですが、発端は医学生時代に友人に誘われて行った障害児の研修でしたね。
知的障害や身体障害を持った子どもたちの施設での研修で、最初は戸惑いましたが、1週間レクリエーションなど色々な活動をするうちに、次第になついてくれるようになりました。この体験がすごく新鮮だったんですけど、ふと、こういう障害をもった子たちが普段どういう生活をしているのか、全然知らないなと思ったんです。
障害があると言っても、接してみると本当に普通なんですよ。もちろん言葉や表現が上手ではなかったりするんですけど、明るくて楽しいし、普通の子どもたちと全然変わらないなと感じて。
中尾 :
その研修が、在宅医療医としての先生のルーツになったんですか。
東郷 :
研修が終わるときの施設長さんの言葉が、とても印象に残ったんです。「この子たちは施設にくると元気そうに見えるけど、行き場所が施設・自宅・病院の3つしかないんです」と。それに対して、僕は「病院は何をしてくれるのか」ということを聞いたんです。すると、「病院の役割は、体調が悪いときに診てくれるだけで、それ以外は全く関与してくれません」という答えが返ってきました。
それがすごく引っかかって、病気や障害などのハンディをもつ人たちに対する医療の考え方や、患者さんへの向き合い方については熟していないのではないかと感じました。
中尾 :
当時の先生が大学などで学んでいた環境ではなく、研修に行ったからこそ得られた感覚だったんですね。
東郷 :
そうですね。国家試験に合格するための医学の勉強は、病気のことをとにかく暗記するだけになってしまいますから。でも、この研修を通して、医療は単純に病気を治すということだけじゃなくて、もう少し患者さんの人生に寄り添って、困ったことを一緒に考えるような仕組みが必要だろうと思いました。
僕はもともと外科医を目指していたのですが、その経験を通して、社会の中での医療の役割みたいなものをもっと学びたいと思うようになりました。そこで、地元の鹿児島の福祉を学ぶために、福祉関係の施設に電話して、話を聞いたり、見学させてもらいに行ったりしたんです。
その現場でも「医療は患者さんに興味を示さない。病気が治らないとなれば、もう一生懸命診ようとしない。検査をしてくれても、その後のサポートもない」というようなことをよく言われて、現場の実情を改めて学ぶことができました。
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患者さんの人生に寄り添う医療が必要とされているし、
自分自身にも向いていた
中尾 :
その後、東京の武蔵野市の病院に移られてから、本格的に在宅医療を始められたということですか?
東郷 :
そうです。国家試験が終わってから鹿児島の福祉施設で東京の介護福祉協議会の方を紹介してもらって、そのつながりで当時「福祉日本一」と言われていた武蔵野市の福祉公社に行って、そこの嘱託の先生とお話しさせてもらいました。
そのときに、その先生に「これからは医療が変わっていかなきゃいけない時代になる。こっち(東京)にきて一緒にやらないかい」と言っていただいた縁で、数年後に武蔵野市のその先生が経営する診療所で在宅医療に取り組み始めたんです。先生は「本当に来るとは思わなかったなぁ」とびっくりされていましたけどね。
当時はまだ在宅医療と言っても介護保険などの仕組みも整っていない中だったので、他の病院勤務と在宅医療を半々くらいでやっていました。
中尾 :
福祉業界の中でも、なぜ在宅医療を選ばれたんですか?
東郷 :
僕自身は、在宅医療そのものをやりたかったというより、社会における医療の仕組みのおかしいところというか、医療のあり方を見直すということをやりたかったんです。
さっきお話しした、障害をもつ子どもたちとの関わりを通して、患者さんの人生に寄り添う医療がしたいと感じたし、それがこの先絶対に必要とされるようになると思っていました。
在宅医療って、病気が治ればスパッと元気になっておしまい、ということではなくて、慢性的に病気を持っている患者さんと長く向き合っていくことが多いじゃないですか。
その点、障害者の方への医療と近い部分があるんですよね。
中尾 :
30年前の時点で、在宅医療が必要とされるようになっていくことを意識されていたんですね。
東郷 :
当時からそんな空気感はあったと思います。漠然とですけど、そうなっていくんだろうなという感覚も自分の中にはありました。
僕はそもそも、人に関われる仕事がしたくて医師の道を選んだんですよ。
ただ、病院勤務で外来も経験したのですが、どうしても流れ作業的になってしまう。病棟では、看護師さんへの指示出しなどの業務で精一杯で、僕自身がなかなか患者さんの顔をゆっくり見る時間もなかったんです。
もちろん、そういう役割の医師も必要なんですけど、自分にはどうも合わなくて。
とにかく病気や医療の勉強をしたいというよりは、とにかく人と関わっていたかったので、単純に在宅医療が向いていたんです。
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以前は50歳まで生きられないと思っていたけれど、
今は100歳まで生きられそう
中尾 :
では、当直連携基盤のサービスをお知りになった経緯をお聞かせいただけますか??
東郷 :
地域の市中病院で在宅診療部の責任者を任されていた8年間と、その後の在宅専門の診療所の院長としての17年の合計25年くらいの間、多いときは160人を超える在宅の患者さんを、24時間365日ほぼ自分ひとりで診ていたんです。
当時はそれが当たり前の業界だとは思ってはいたものの、やはり身体的にはしんどいというのが正直なところでした。
40歳を過ぎるころにはすでに身体はボロボロで「この仕事をしている限り50歳までは生きられないだろう」と真剣に思っていました。何しろオンとオフのオフが全くないわけで、夜寝ていてもいつ起こされるか分からず、疲労もなかなか回復しませんからね。
日曜日に家族4人でディズニーランドに遊びに行ったとき、渋滞から解放されシンデレラ城が目前になり子供たちがはしゃぎだした瞬間に往診依頼の携帯が鳴って予定が中止になったこともありました。食事の最中に眠り込む私を見て妻が「食べながらいびきかく人なんて見たことない」とよく言ってましたね。
そんな状況を見かねたスタッフが、良いサービスがないかということで当直連携基盤を見つけてきてくれたんです。
中尾 :
最初にこのサービスのことを聞いたときは、率直にどう思いましたか?
東郷 :
本当に大丈夫かな? というのが本心でしたよ。長年ひとりで在宅医療をやっていると、患者さんから「東郷はいつでも何でもやってくれる」という妙な(?)信頼感で成り立ってしまう部分が大きくなるんです。ですから、普段診ている患者さんを一時的にでもほかのドクターに委ねるのは正直自分自身が不安を感じました。
実際に、お願いした最初の頃は、当直の先生のカルテや対応記録ばかり気にしていました。信頼していないわけではなかったのですが、最初の半年間くらいはそわそわして2〜3時間ごとに記録をチェックして、全然休めなかったんです。スタッフには、「休む方が大事だ」ということはさんざん言われたんですけどね。
ただ、当番の先生方がしっかり診てくれるということもわかってきて、僕自身もだんだん慣れてきて、今はもうお願いしている間は記録をチェックすることもほとんどなくなりましたよ。
患者さんも安心してくれている様子が見てとれましたし、患者さん側からも「先生もちゃんと休まなきゃダメよ」なんて言われたりもしたので。
月曜日の朝にカルテを見たりスタッフから報告を受けたりして、何も問題なく進行していたときに、自分がそこまで気にしすぎなくて大丈夫なんだと気づきました。
中尾 :
先生ご自身にも大きい変化があったんですね。
東郷 :
単純に、健康になりましたね。休むべきときに休めるという当たり前のことができるようになっただけのことですが、、、。さっき言った通り、以前は50歳まではとても生きられないと思っていたけれど、今は「俺、100まで生きるよ!」と周囲に宣言しています。本当に当直連携基盤さんのおかげですよ。
社会の中の医療の仕組みを新しくするということをやりたいと思っているので、役所や福祉関係の施設、他の病院などに行って話をしたり考えたりする時間が必要なのですが、ずっと患者さんのことで精一杯でとてもそのような活動ができなかったんです。
今は余裕ができたので、やりたいことを進められています。
以前はどうしようもないときは地域の他の先生たちに代理の往診をお願いすることはありましたが、依頼するたびに気を遣いながらお伺いを立てて返事を待ったり、ほかの先生方もお忙しいだろうにと思うと頼みにくかったりして、結局は我慢して自分で頑張ってしまうことも多かったんです。
当直連携基盤さんなら定期的にお願いできるので計画が立てやすいし、経済面でも他の先生に頼むよりお手頃なのでとても助かってますよ。
中尾 :
ありがとうございます。お役に立てて私としても本当に嬉しいです。
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そのとき限りの訪問だとしても、
当直医は患者さんの人生に寄り添う意識
中尾 :
では、当直連携基盤に求めることや、あるいは在宅医療の当直医として必要だと思うのはどんなことでしょうか?
東郷 :
「患者さんの人生の背景を見る意識を、少しでも持ち続ける」ということですね。
在宅医療は、外来以上に患者さんやご家族との人間同士のつながりが大切なんです。
もちろん、当直の先生にはピンポイントで入ってもらうことになるので、そのタイミングで必要なことをしてもらうことがまずは一番です。ただ、意識の中の1〜2割でも良いので、この患者さんはどういう生活をしていて、病気によってどんな困りごとがあって、人生がどう変わっていて…ということを念頭に置いてもらいたいなと思っています。
難しいとは思うのですが、例えば「症状以外のことでも何か困っていることはありませんか?」と声をかけていただくだけでも、患者さんは「この先生に任せて大丈夫」と感じてくれるし、患者さんとしても僕たちとしても、またこの先生にお任せしたいと思えますよね。
中尾 :
確かに、その時だけの当直であっても、在宅医療はそれまでの流れや患者さんと主治医の先生との関係性を理解して臨むことは大切ですよね。
弊社としても、今まで以上にその意識を高めていくようにしようと思います。
東郷 :
あとは、在宅医療の在り方を、患者さんだけでなく地域のあらゆる立場の人たちに知っていただく、理解してもらうという努力も必要ですよね。
当直連携基盤さんに入っていただいたばかりの頃、当直の先生の対応が間違っていたわけではなくても、僕のほうに「こう言われたんだけど」と患者さんがクレーム的に連絡してくることがたまにありました。
中にはそういう「慣れた東郷先生じゃないどダメ」という方もいらっしゃったので、その場合は最初だけは当直連携基盤さんに受けてもらって、何かあったらすぐに私につないでもらう、という対応もしていたんです。
でも、時間帯や曜日によっては違う先生がやっている、ということがだんだん患者さんにも周知されてきて、地域としてその認識が根付いてきた感覚がありますね。
今にして思えば、病院だって常に同じ先生が診るわけではないのに、在宅医療だけ24時間365日同じ医師がすべて対応する、という間違った考え方を、私自身がこの地域に植え付けてしまっていたんだな、と感じます。
中尾 :
持続可能な在宅医療というのは、地域を巻き込んだ理解が必要になるんですね。
東郷 :
病院はベッドが足りないし、施設にも制限があるので、この先、在宅医療の必要性は絶対に増えていきます。
在宅で患者さんを診る体制がないと、3年後や5年後にどうしようもなくなる可能性もあるので、この数年の間に解決策を考えていかないといけません。
でも、その解決策を、医療側の人間だけで考えていてはダメで、患者さんや地域側にも現状をしっかり知っていただいて、医療に何を望むのか、自分はどう行動すべきかを常に考えてほしいと思うんです。
そういう部分の意識改革にも、僕の活動の中で取り組んでいけると良いですね。
中尾 :
私たちのサービスを通して、先生の活動を支えられると嬉しいです。
本日は、お話ありがとうございました。